東大阪市本庄の蔵

 炎暑下、近鉄荒本駅に降り立った。猪飼野探訪会の足代さんとの二人連れ。足代さんの伝手で、東大阪市本庄の蔵の見学をする。

 荒本駅から北上する。弥栄小学校と浄福寺が目印だ。日本特殊地図協会の町会地図はとてもありがたい。

 

 本庄のK邸にお邪魔する。K氏は窯を持って、陶芸を教えておられる。ご自宅を改修されてわかったことは、用材が江戸中期のものが使用されていると。「東大阪市防災ハザードマップ」や「スーパー地形」によれば、3.61mの標高がある。庄屋もされていた。邸内には田舟がないという。半鐘もないと聞く。水害などの災害がなかったのだろうか。段蔵とは「災害避難蔵」のことである。その定義からすれば、K邸の蔵は段蔵ではないということになる。

f:id:higachanntan:20240808091425j:image↑庭内から見た蔵
f:id:higachanntan:20240808091428j:image↑K氏の蔵
f:id:higachanntan:20240808091430j:image↑同上

 

 近くの元八幡六郷神社に笹川良一玉垣があると聞く。未見である。この辺りでは笹川をよく言う人はいないらしい。なぜか。安く買いたたかれた記憶がそう言わせるのだ。笹川は毀誉褒貶が分かれる人物ではある。

f:id:higachanntan:20240808091433j:image↑K氏宅の玄関

 「盾津飛行場」は、1934(昭和九)年大阪府中河内郡盾津村本庄・新庄(現在の東大阪市本庄・新庄)に存在していた。敷地の広さは約10万坪。盾津中学校の東側、南西から北東に向かう全長約750mの滑走路があった。今は道路になっている。

 笹川良一(1899〜1995)は昭和六(1931)年に右翼の国粋大衆党の総裁になる。翌年、彼は「実戦的な飛行士養成」のために国粋義勇隊飛行隊を創る。

 昭和八(1933)年から関西財界の資金援助もあり、買収に乗り出す。そして、昭和10(1935)年6月に彼は飛行場を陸軍に「献納」した。

f:id:higachanntan:20240808102548j:image東大阪市ハザードマップ(承認済)

f:id:higachanntan:20240811092145j:image国土地理院 航空写真(1936年〜1942年頃)

  今は東大阪第一トラックターミナルや盾津中学校になっている。

ここで一句。「夏草や つはものどもが 夢の跡  松尾芭蕉

 

【参考文献】

『日常と地域の戦争遺跡』(大西進編、2022年10月、批評社)

東大阪市ハザードマップ』(東大阪市危機管理室、2021年3月)