城東区の有名人(戸浦六宏)

 戸浦六宏(1930〜1993)は映画俳優。昭和五年生。Wikipediaには大阪市出身とある。

 かつて城東区今福の皇大神宮宮司さんに聞いた。戸浦六宏は今福南2丁目に住んでいたと。その時はそうかと聞いただけだが、城東区の有名人をブログで紹介しようとしたら戸浦六宏は抜かすことができない。

 

 戸浦六宏の本名は、東良(とうら)睦宏だ。個性的な悪役と記憶に残る。大島渚監督の「太陽の墓場」(1960年作品)がデビュー作だ。大島渚監督とは京都大学の同窓だ。

 戸浦の実家は吉田の住宅地図(1960年)によれば、大阪市城東区今福南2丁目11番地に「東良」の名が見える。今の住居表示では城東区今福南2丁目1-23になる。皇大神宮から南に道を辿れば、突き当たる。島田質店の東隣に実家があった。彼の住居からすれば、今福小学校(旧大阪市立鯰江第三尋常小学校)卒業だろうか。彼はその後、旧制大阪府浪速高校(昭和21年文科甲1組)、京都大学文学部英文学科を卒業することになる。『京都大学卒業者人名録』(昭和58年版)に「昭和30年卒業、東良睦宏」と記述がある。

f:id:higachanntan:20240624135830j:image皇大神宮
f:id:higachanntan:20240624135841j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240624135834j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240624135816j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240624135819j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240624135838j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240624135827j:image↑戸浦家の周辺
f:id:higachanntan:20240624135845j:image戸浦六宏が住んでいた家のあたり(今は東良家ではない)
f:id:higachanntan:20240624135823j:image↑東良家のあたり

f:id:higachanntan:20240623200915j:image↑今福南の街並み
f:id:higachanntan:20240623200918j:image↑質屋・タバコ屋だった
f:id:higachanntan:20240623200921j:image↑栄照寺の鐘楼が見える

 卒業後、大阪高校(大阪市東淀川区相川)に就職する。教師をしている時に映画俳優の道を進むことになる。芸名を戸浦六宏にする。英語教師とラグビー部顧問の生活は映画出演で終わり、神奈川県川崎市麻生区に転居する。大阪高校に問い合わせしたが、旧職員名簿は保存していないとの回答があった。

 1961年以降、一連の大島渚監督の映画に出演する。「飼育」「白昼の通り魔」「儀式」など。「戦場のメリークリスマス」でデビッド・ボウイと共演する。

 1993(平成5)年6月25日午前7時、多発性動脈瘤のため62歳で死亡。

f:id:higachanntan:20240727212929j:image↑松竹株式会社から画像の提供は断られました

 次男の東良美季がブログ(毎日jobjog日誌)に書いている。長いが、それを引用する。

 「僕の親父は生前、役者を生業にしていたわけだが、大島監督がいなければその職に就くことはなく、また僕自身も今こうして東京に住み文章を書いたりしていなかったかもしれない。父と大島氏は京都大学の同窓で一学年違い。共に学生劇団を主宰し政治活動に身を投じてた。いや、彼らにとっての演劇は体制に異議申し立てをする一手段であったのかもしれない。氏は良く知られるように卒業後松竹に入社、大船撮影所にて映画の道を進むわけだが、父は大阪で平凡な高校教師の職を得る。我が両親は学生結婚で、卒業の頃既に僕の兄が母のお腹の中にいた。地元で安定した生活を手に入れる必要があったのだろう。
 しかし親父は決して芝居を諦めたわけではなく、教鞭を取りつつラグビー部の顧問をしながらも平行して京都で小劇場を主宰し、部活の後疲れた身体で劇団の稽古に出かけていたという。若かった、ということを差し引いてもたいした情熱であったと言う他ない。そしてある日転機が訪れる。1960年、僕が2才の時だ。大島氏が監督第3作『太陽の墓場』を撮ることになり、父に連絡して来る。御存知の方もいると思うが主演に津川雅彦、炎加代子、佐々木功等を擁した、大阪は釜ヶ崎を舞台にした愚連隊と労働者の愛憎渦巻くドラマである。大島監督は関西の演劇事情を良く知る父に、「大阪弁をしゃべれる役者を集めてくれないか?」と言ったという。
 
 それが何人必要だったのかは判らない。ただ、僕が母から聞いた話では一人どうしても足りなかったそうだ。そして、父は自分がその最後の一人になった。親父は芸名を戸浦六宏という。それはこの時、現職の高校教師でありながら──非常に校則等の厳格な私立校だったという──映画に出てしまうのはマズイと思ったのだろう。ただ同時に、一回こっきりの出演で芸名なんてものを付けるのもまた大げさと考えたのかもしれない。本名の東良睦宏(とうら・むつひろ)を字だけ変え、戸浦六宏とシャレの様な名前にした。しかし出番も少なく台詞もほとんど無かったが、彼の演じた津川雅彦率いる愚連隊のナンバー・ツー“マサ”と呼ばれる片足の男は、とても強い印象を残し、大島監督からの誘いもあって高校教師を辞める決心をする。そして我が家は家族4人、知り合いも親戚もいない東京へ引っ越して来た。先に“僕自身も今こうして東京に”と書いたのはその意味だ。
 
 大島監督は次作、安保闘争を題材にした『日本の夜と霧』(1960年)を、松竹が監督本人に無断で上映を打ち切ったことに抗議して退社、独立プロダクション創造社を結成する。父も小山明子さん、故・渡辺文雄氏らと共に創設メンバーとして参加。『白昼の通り魔』『絞首刑』『新宿泥棒日記』『儀式』と、錚々たる名作に関わっていく。創造社は1972年の『夏の妹』を以て解散するが、父は1983年の『戦場のメリークリスマス』に旧大島組からはたった一人招集される。軍律会議通訳という役柄だったので、主演のデヴィッド・ボウイとツー・ショットで共演した。親父には当初「イギリスの流行歌手」くらいの認識しかなかったそうだが、初日リハーサル、その一挙手のみでボウイの役者としての才能、独創的な演技プランに驚愕した──と、酒に酔うと僕に何度となく繰り返した。そして終生、デヴィッド・ボウイと共演出来たことを役者としての誇りにしていた。
 
 1993年に父が亡くなった時、それは急な死であったにも関わらず、誰よりも先に我が家まで駆けつけてくださったのが大島渚監督だった。お元気でいてくださるのなら、いつかお会いしてお礼を申し上げられる日が来るかもしれない──そう思えるだけで心が晴れるような気がした」

f:id:higachanntan:20240624140317j:image↑おもいでのかね
f:id:higachanntan:20240624140332j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240624140324j:image↑今福小学校の校章
f:id:higachanntan:20240624140328j:image↑「創立50周年記念碑」
f:id:higachanntan:20240624140305j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240624140336j:image↑今福橋の橋標
f:id:higachanntan:20240624140313j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240624140309j:image↑「室戸台風を偲ぶ」碑
f:id:higachanntan:20240624140321j:image↑同上

 戸浦六宏の実家跡から古堤街道を南に行くと、今福小学校がある。教頭先生の許しを得て、室戸台風殉難者の碑を見学した。5年後に今福小学校も統廃合される予定だ。創立90年にもなる学校が廃止されるのは地元住民にとってとても悲しいことだ。そして、土地が売却されたら、一次避難所がなくなり、住民の安全・安心にとり重大なことにつながる。

 
 2024年6月25日に開かれた大阪市教育委員会議において、今福小学校の放出小学校への統廃合計画に次のような変更を決定した。

 

 「当初の学校再編整備計画案では、収容対策等のため必要となる教室改造工事及 びエレベータ棟増築工事を一括して発注し、令和10年3月までに工事を完了させる予定であった。 教室改造工事の規模が大きく、工事全体の工期が長期化するう え、工程管理も非常に複雑化することとなった。昨今の本市における入札状況等 を鑑みると、工期の長期化、工程管理の複雑化は入札参加事業者の減少を招く要 因となっており、入札が不成立となる可能性が極めて高いことが明らかになった。
 このようなリスクを回避するためには、教室改造工事とエレベータ棟増築工事 を個別に発注する必要があるが、その場合、再編整備時期は現行の計画より1年遅れ、令和11年4月となる。一方、当初の一括発注案で入札が不成立となった場 合は、設計の見直し作業や再入札手続き等が必要となり、再編整備時期は現行の 計画より2年遅れ、令和12年4月となる。
 児童の教育環境や学校運営の影響等を総合的に勘案し、できるだけ早く新しい 学校を開校するため、現行の計画より1年遅れるものの、教室改造工事とエレベ ータ棟増築工事を個別に発注することが最善の策であるとの結論に至った。
 以上の理由から、再編整備時期を令和10年4月から令和11年4月に変更する ため、大阪市立小学校の適正規模の確保に関する規則第6条に基づき、今福小学校・放出小学校 学校再編整備計画の変更を行うこととしたい」

 

 今福というたいへんめでたい名前の地域から、脇役といえ個性的な演技をした映画俳優がいたことを脳裏に入れておいてほしい。

 

【参考文献】

讀賣新聞朝刊31面(1993年3月26日)「個性光る、名脇役

毎日jobjog日誌by東良美季(2008年10月23日を閲覧)

『浪高50年ー旧制浪速高等学校五十周年記念誌ー』(昭和五十一年六月十日発行、旧制浪速高等学校同窓会)