福島区の整形外科病院に膝の痛みの治療のために行った。福島区大開(おおびらき)4丁目に病院がある。
↑福山通運の社宅
↑整形外科の病院
診察後、昼過ぎから公団大開団地から大開商店街経由で阪神線野田阪神駅まで辿った。鼠島の跡を探したが、わからなかった。新淀川開鑿以前には中津川が流れていた。下流は正蓮寺川と六軒屋川へと続く。その中州に鼠島があった。鼠島消毒隔離所が置かれた。
↑此花区高見の団地群が見える
↑樋門が見える。鼠島の一部か
↑浪速通運
↑北港通の嬉ヶ崎橋
↑此花区高見に続く道路
↑大開の延命地蔵
↑同上
↑同上
↑万代百貨店
↑旧兼平通
↑福山通運トラックターミナル
1977(昭和52)年4月の吉田地図を見れば、旧日本住宅公団大開町市街地住宅(大開四丁目)の西側に下島町がある。川が埋め立てられて、福島区と此花区が地続きになっている。此花区側には此花厚生年金高層共同住宅が建っている。
↑都市再生機構(旧住宅公団)大開団地
↑同上
↑同上(11号棟)
ここで「心中天の鼠島」の話をしよう。45年前の実話をフィクションに仕立てる。
学校のPTAで知り合った男女。それぞれには家庭があった。しかし不倫に走った。世間にはよくある話だ。家出をした二人は彷徨って、ここ大開の借家にたどり着く。大ぴらに歩けない。世間の目は二人には冷たい。にっちもさっちも動けなくなった二人。解決する方法は一つ。ガス管を咥えて心中する道を選ぶ。室内に都市ガスが充満する。室外にガスの臭いが漏れる。隣家の住人が気づく。ドアは開かない。ベランダ伝いに住人が部屋に入った。室内の電灯を点けた。火花が飛ぶ。その火花がガスに引火した。室内から窓を吹き飛ばして、室内の道具類も吹き飛んだ。
向かいの棟から双眼鏡で見ていた男がいた。少し暑くて、どこの家も窓を開けていた。爆発による衝撃波が通り抜けていった。男の膝はガタガタと震えていた。双眼鏡をしっかり持ち、窓枠のない暗い空間を見ていた。救急隊と警察がサーチライトを当てた。明るくなった部屋に犠牲者の煤けた脚が見えていた。双眼鏡の男は急に怖くなり、一睡もせず朝を迎えた。
以上の話はUR賃貸住宅大開団地とは無関係ですので、ご承知おきください。
↑同上(12号棟)
↑同上(公団大開団地の西側に貨物引込線が1979年の吉田地図には描かれている)
↑旧レンゴー紙器(現在のレンゴー株式会社)
↑大開団地の西側
↑旧中津川の左岸
↑阪神高速大開料金所
この辺りには福山通運、レンゴー紙器、旭硝子などの工場があった。紙を晒す刺激臭があった。工場を照らす照明も見えた。
↑レンゴー株式会社
↑同上
↑同上
↑倉庫群
↑コーナンが見える
↑大阪市建設局海老江下水処理場が見える
↑南を見る(かつての自然堤防で左岸か)
大阪府立西野田工業高校(昔は職工学校と呼んでいた)も統廃合の対象になっている。歴史ある伝統校がなくなるのは寂しい。
↑大阪府立西野田工科高校の体育館
↑大開の町並み
大開(おおびらき)公園は、松下幸之助創業の地と言われている。猪飼野(東成区)にも幸之助の工場があったが、うまく棲み分け(創業と始業の地)ができていると聞く。
↑大開公園
↑同上
↑同上
↑同上
↑大阪府立西野田工科高校
↑同上
昔(45年前)はもう少し人通りがあったと記憶する。吉野ミュージックホールというストリップ劇場があったと聞くが、私はそういう悪場所には足を踏み入れたことがない。
↑大開商店街
↑大開小学校前
↑大阪市立大開小学校の玄関
↑同上
↑同上
↑大阪市立大開小学校の柵(野田藤のデザイン)
↑海老江郵便局前
↑市バスの停留所
鼠島探訪は満足のいくものではなかった。
此花区高見の人は「ネズミーランド」とふざけて言うことを聞いた。明治・大正期の大阪ではコレラやペストの流行で社会不安が頂点に達した。鼠島消毒隔離所の果たした役割は大きいと言わざるを得ない。かつて大開4丁目に住んでいると言うと、福島区に住む同僚が嘲笑しながら「鼠島やないか」と言ったのを鮮明に覚えている。鼠島という「魔境」に光を当てて、正当な評価がされるように願う。
【参考文献】
『大阪春秋』88号「ある小さな島(鼠島)の生涯」(中島陽ニ著)
阪俗研会長の田野登氏の示唆をいただきました。ここに感謝の意を表します。