北河内・中河内・大阪市・高槻市・茨木市・摂津市などにわたって、「段蔵」について実地踏査をしてきた。ここでもう一度「段蔵」の定義をはっきりさせておきたい。
JAきたかわち(北河内農業協同組合)が出す「JAきたかわち」(No.220)から引用させていただく。
段蔵は、「淀川下流域の低湿地に見られ、川などの氾濫による家屋浸水に備えて作られた農家の蔵」を指す。洪水や台風から家財を保管する目的で建てられた。
段蔵は「母屋よりやや高く、屋敷の北西隅に切石の石垣を5〜10段程度積み上げた上に建てられて」いる。なぜ「段蔵」と呼ばれるのか。「東から西にかけて石段を順次高くし、それが段状になっていること」から来る。また、一棟の土蔵も広義では段蔵に入れている。
段蔵という呼称は、本来寝屋川市・門真市を中心にした地域のもので、枚方方面では「かるもんぐら」とか「だんじりぐら」、淀川右岸では北西の方角を示す「いぬいぐら」と呼ばれていた。
段蔵は枚方市楠葉付近から下流側に広く分布していた。左岸では寝屋川・古川沿いに、右岸では安威川・芥川沿いに特に多かった。所有者は大地主かそれに類する豪家で、段蔵の規模数はその家の資力を反映していた。
母屋と離れて建てられたものもあるが、多くは母屋に連結して屋敷の北西隅に建てられており、複数の段蔵が連なった連立式のものもあった。
段蔵一棟の面積は4.5坪ぐらいから、大きいものは30坪に及ぶものもあった。切妻瓦葺屋根で内部は二階あるいは三階になっている。家具、夜具、衣装、米穀などを収納した。貴重な備品ほど高い所に収められた。また、洪水時に使用する陸船や、洪水後の農作業のための農具を収納していたのもある。
近世末より明治時代の建造にかかるものが多い。中には大正時代以降の再建のものもある。都市化による農家の減少と淀川の洪水の危険が少なくなったことから、段蔵は減少している。しかし、優れた構造と機能性が見直されてきている。
段蔵を所有する寝屋川市の組合員の談が「JAきたかわち」(No.220)に載っている。
「建築年は不明だが、昭和3年以前には蔵があった。段蔵は湿気がなく涼しく、断熱作用がある。地域の方にも知ってもらいたい」と話す。
【参考文献】
『研究ノート 段蔵』(内田秀雄・中井稔著)