加島屋の本家と分家の住まい

 加島屋本家(加島屋廣岡久右衛門家)の住まいは、住吉区天王寺(現:阿倍野区松崎町)にかつてあった。大正十年五月に出版された「阪南郊外地図」に第二小学校(現:大阪市立常盤小学校)の東南に廣岡邸が載っている。常盤小学校は大阪府東成郡大字天王寺字中瓦釜に大阪府東成郡天王寺第二尋常小学校として一九一二(明治四十五)年に開校した。

 大阪市マップナビおおさかの航空写真(昭和三年、昭和十七年)に廣岡邸の豪邸が見える。庭の中にいくつもの屋敷が点在している。昭和初期には十一棟の建物があったと大同生命の担当者から聞いた。

 

 現在の松崎町の街並みは大きく変化している。高層の市営住宅が建っている。常盤小学校も分校と体育館の設備が整っている。廣岡邸もマンションに変わっている。松崎町上町台地に広がる。東に行くと、下り坂になって阿倍野区役所前に出る。

f:id:higachanntan:20221015020304j:image小学校の北側の公園はもと池であった
f:id:higachanntan:20221015020321j:image大阪市立常盤小学校は創立110周年である
f:id:higachanntan:20221015020329j:image土蔵が残っている
f:id:higachanntan:20221015020313j:image邸宅
f:id:higachanntan:20221015020317j:image駐車場の奥の右の建物は常盤小学校の体育館。左は小学校の本館
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f:id:higachanntan:20221015020309j:image上町台地の東端。東に向かって下がっていく

 

 加島屋は、江戸時代に大坂有数の両替商(十人両替の一つ)として栄えた。400年前、初代廣岡久右衛門正教が精米業を営んだのが始まりと言われている。

 明治維新で両替商が廃業する中で、九代当主の廣岡久右衛門正秋、正秋の兄の信五郎とその妻廣岡浅子(連続テレビ小説「アサが来た」の主人公)の奮闘により、加島屋は、大同生命や幾多の事業を展開する近代企業になった。廣岡浅子は、日本女子大学の創立にも参画する。

 

 明治中期から職住分離が進み、居宅を他所に移す動きが出て、上町・帝塚山阿倍野が開発されていく。大阪法務局天王寺出張所で旧土地台帳の写しを取った。大正五年と大正十三年六月に廣岡久右衛門が売買で松崎町の土地(畑)を入手している。太平洋戦争後(昭和二十六年)に土地は八幡製鉄(現:日本製鉄)に売られている。八幡製鉄は保養所に使用していた。

 

 加島屋本家跡地の周りは、邸宅街の雰囲気を残す。かつての豪邸はマンションに変身している。

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f:id:higachanntan:20221015020756j:image加島屋本家の跡地はマンションになっている

f:id:higachanntan:20221015021413j:image邸宅の中に土蔵がある
f:id:higachanntan:20221015021417j:image別のお宅にも土蔵があった

 阿倍野王子神社の資料によれば廣岡家が氏子であった記録はないと、長谷川宮司から聞き取りをした。常盤小学校の卒業生の香川和子さん(昭和10年〜昭和16年まで在学、昭和25年〜昭和37年まで在職)は、「あの頃の常盤はお屋敷街でした。大鉄(大阪鉄道管理局、今のJR)の官舎もあって、佐藤栄作さん(元内閣総理大臣ノーベル平和賞受賞者)が住んで」いたと話す。廣岡邸の記憶は、地域の人に刻まれているだろうか。

 

【参考文献】

 『わたしたちの常盤』(大阪市立常盤小学校)

   『商都大坂の豪商 加島屋 あきない 町家 くらし かっこ』(大同生命大阪市立住まいのミュ

ージアム)