寝屋川を渡る橋で「極楽橋」のいわれについて考えてみよう。
今福南に「皇大神宮」がある。1月15日に「とんど」が行われていた。お参りの方で賑やかな雰囲気であった。
皇大神宮のとんど
大阪市名誉市民第一号の菅楯彦邸にあった祠。菅原道真公を祀る。
古堤街道の四つ辻にあった道標。
皇大神宮の河村宮司に菅楯彦邸にあった祠については伺う。菅楯彦は、宮司の母方のおじにあたる。倉吉の御典医の家柄。宮司が幼少の頃に菅邸に呼ばれたらしい。知名人が集まったらしい。阿倍野区松崎町にあった菅邸の庭に祀られていた祠だ。
極楽橋が皇大神宮の南にある。古堤街道が通っている。その昔には地獄橋と呼ばれていた。木橋で幅が二尺しかなかったらしい。それは危なくて地獄に真っ逆さまに落ちてしまう。
和菓子の龍玉堂のおばあさんが亡くなった。葬式が寝屋川斎場(現・鶴見斎場)に向かう時、棺桶の中から声が。死者が蘇生したのだ。生き返ったので、めでたいことだ。氏子総代が「極楽橋」にしようと言い出した。由来についてはいろんな説がある。
皇大神宮の道標があった四つ辻。
極楽橋を渡って、しばらく古堤街道を歩いてみる。
マンションの中の市道が古堤街道である。
四季彩都の横を歩く。
関西送配電新喜多変電所の裏を通る。
新喜多変電所の中にかつて「狐山」があった。
新喜多変電所の裏にある古堤街道。
城見通の南に続く古堤街道。