城東区今福の皇大神宮

 皇大神宮の住所は、大阪市城東区今福南2丁目12-31である。自転車で暑さの中を今福村のまち歩き(?)をした。社務所で「由緒書」をいただく。携帯していた『城東区ふれあいマップ』(城東区役所発行)も参考にした。

 

 マップから引用する。皇大神宮の祭神は天照大御神(アマテラスオオカミ)である。現在の社殿は、寛保2(1742)年、天保13(1842)年、天保13(1880)年、明治13(1880)年に改修され、昭和7(1932)年に大阪城の設計を手がけた古川重春氏の設計により改築された。桃山様式の社殿である。平安時代末期に摂津国今福村が開発された時、同地に天照大御神を祭ったのが始まりである。

 

 また、同地に「今福の道標」がある。天保3(1832)年3月に世話方6名によって建立された。元は、古堤街道(野崎街道)の四つ辻(今福南1丁目あたり)の東南角に建っていた。また、安政6(1859)年3月に今福村の大峰山登山人等の世話人により上部に常夜灯が付けられた。「左り大坂道、右ハのさきならいせ道、當村山上講」と刻んである。

 

 末社に「小女郎稲荷社」に惹かれた。商売繁盛の神だ。皇大神宮のHP(www.eonet.ne.jp/〜koutaijingu/index.html)を参照する。

 「昔、旧大和川堤(現在の新喜多東2丁目あたりで、関西電力新喜島変電所に当たる)の狐山に社があった。大和郡山の源九郎稲荷、泉州信太の葛葉稲荷と並んで三大稲荷に数えられている。

 『摂津名所図会大成』第三巻に「霊験あらたかなりとて参詣人すこぶる多し、社壇もつともきらびやかに造立ありて美なり」とある。極楽橋(寝屋川に架かる橋)辺りまで参詣人目当ての茶店が軒を連ねて賑わっていた。

 師走(12月)の一夜、鴫野や天王田などの子どもたちが、家で作った竹の皮に包んだ油揚げと握り飯を持って「せんぎょ せんぎょ」と囃しながら、狐山の周りを回った。この祭りは昭和7〜8(1932〜1933)年頃まで残っていたそうだ。

 

f:id:higachanntan:20210612020457j:image

f:id:higachanntan:20210612020530j:image

f:id:higachanntan:20210612020553j:image

f:id:higachanntan:20210612020609j:image

 

f:id:higachanntan:20210612020651j:image

f:id:higachanntan:20210612020805j:image

f:id:higachanntan:20210612021654j:image