大阪環状線京橋駅の界隈さまざま(2)

 京橋のホテル街の一角に戦前に人形劇団の活動があったことを文献で知ることができた。国道1号線と大阪環状線が交差するガードを境にして、町の顔が変貌する。東側は戦後の闇市からできた遊楽街である。旅館、居酒屋、焼肉店、喫茶店などのごちゃごちゃした店がJR京橋駅や京阪京橋駅を核にして広がっている。

 「京橋はいいとこだっせ、グランシャトーにいらっしゃい」で有名な歓楽ビル。餃子の眠眠に毎日入って、1皿50円で食べたものだ。カレーヤのカレーライスもうまかった。貧乏高校生の懐は寂しい。

 

 映画館も子どもから大人まで足を運んだりした。東から京橋劇場、京橋東映、京橋名画座、京橋アカデミーが記憶に残る劇場である。京橋劇場で「白日夢」を見た。三越日本橋本店が撮影現場になった。武智鉄二の白黒映画であった。京橋東映と京橋名画座東映系の第一封切館であった。のちに京橋東映グランシャトーに入って、東映のマンガ祭りで子どもたちの人気を集めた。京橋アカデミーは日活系の映画館だ。「キューポラのある街」を中学校で映画鑑賞をした。吉永小百合の肌着姿の白さが印象に残っている。

 古堤街道に面して、大坂七墓の一つ「蒲生墓」の南側の家で「エロ事師たちー人類学入門ー」のロケが行われた。小沢昭一左幸子坂本スミ子北林谷栄などの芸達者が出演した。颯爽と柵のない蒲生墓を通って行くのだ。環状線のガードは暗く、奥に光が見えている。異界の入り口と思い込んでいた。

 

ガードから西側はホテル街なので、足は遠のく。ホテル街の西に大阪大学工学部の校舎があった。その前には網島駅が片町線の出発駅になる。この駅の生涯は短かった。阪大から大阪市立東高校と電電公社(後々にNTT西日本)の建物ができる。