今日は三隣亡なのか

 今日は加古川行きの日だ。09時30分過ぎに最寄りのJRの駅に向かう。北新地駅に定時に着く。

 JR神戸線に乗るか、阪神電車にするか。二者択一だ。結局、阪神梅田駅の改札口を通過する。

f:id:higachanntan:20240207161703j:image↑姫路行き直通特急
f:id:higachanntan:20240207161656j:image↑2001年製の車両
f:id:higachanntan:20240207161659j:image↑行先表示板

 阪神電車神戸高速鉄道山陽電車と乗り継いで、明石駅に着く。ここまでは順調だった。

f:id:higachanntan:20240207162129j:image阪神電車の車庫
f:id:higachanntan:20240207162149j:image尼崎城
f:id:higachanntan:20240207162123j:image朝日新聞阪神支局
f:id:higachanntan:20240207162126j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240207162136j:image明石海峡大橋
f:id:higachanntan:20240207162133j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240207162142j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240207162146j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240207162139j:image↑同上

 山陽電車明石駅に着いて、JR神戸線明石駅のホームに上がると、神戸線垂水駅で新快速車両の不具合で停まっているではないか。

 30分以上待たされて、普通加古川駅行きが出るとのアナウンス。階段を降りて昇って、普通に乗る。すぐには出ない。件の新快速の乗客を乗せるので、しばし待てと。その後、それを撤回して出発することになる。普通なので、加古川駅まで20分。加古川線の谷川行きがすぐ出発するので、急げとの指示あり。エスカレーターを上りことになりやした。

 乗った途端にドアが閉まる。野暮用が順調に済んだ。昼食を摂るのを忘れていた。加古川駅まで戻る。しかし、悪いことは次々に起こる。宝殿駅で乗客と電車が接触したので、不通。17時ごろに開通する見込みという。あ〜、どうしよう。JR西日本の経営陣は神戸線の度重なる事故、遅延等をどう考えているのだろうか。

f:id:higachanntan:20240207163935j:image↑行先表示板
f:id:higachanntan:20240207163932j:image↑3・16ダイヤ改正
f:id:higachanntan:20240207163939j:image↑JR加古川駅改札口で運転開始を待つ人々
f:id:higachanntan:20240207163929j:image↑同上

f:id:higachanntan:20240207234239j:image↑残照
f:id:higachanntan:20240207234236j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240207234232j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240207234245j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240207234242j:image山陽電車明石駅
f:id:higachanntan:20240207234249j:image↑同上

 加古川駅で新快速が来たのは17時30分ごろであった。帰りは山陽電車に乗り換えるのは自然なことであった。

焼肉たむら本店

 焼肉たむら蒲生三丁目本店はかつて、繁盛していた。たむけんが昨年渡米して、店は食パンメーカーの社長が買収したらしい。

 しかし、今年に入って、店の看板が取り外された。内部の様子は不明である。

f:id:higachanntan:20240206182323j:image↑焼肉たむら本店の跡 

 

夏草や兵どもが夢の跡  芭蕉

海老江八坂神社

 福っくらトーク後、田野登代表、一善さん、ヒガチャンの三人(トリオ)は、海老江に向かった。東成郡と西成郡の長屋の違いや関西スーパーの短縮した言い方(関スパか関スー)と地域性などワーワー言いながら海老江八坂神社に向かったのである。

 人も多い。車も多い感がする。10年前からしていると福島区歴史研究会長末廣さんの言葉。ぜんざいか粕汁が振る舞われた。

f:id:higachanntan:20240205025245j:image↑鬼門入口
f:id:higachanntan:20240205025255j:image↑鬼のお面の口から入る
f:id:higachanntan:20240205025252j:image↑鬼面から境内に入る
f:id:higachanntan:20240205025242j:image↑参拝が終わると福門に

 境内には夜店が出ていた。祭事には夜店がないと気分が盛り上がらない。本殿前でお祈りをした。お賽銭ははずんだ。神さま、ご覧になりましたか。
f:id:higachanntan:20240205025259j:image↑梅が咲いている
f:id:higachanntan:20240205025302j:image↑福門の出口
f:id:higachanntan:20240205025248j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240205025305j:image↑同上

 地車の宮入りの時の鳥居が福門の出口になっていた。海老江八坂神社の節分もお詣り先に入れておこう。

節分豆まき祈祷会(浦江聖天)

 節分豆まき祈祷会(星祭)を浦江聖天で迎えようと大阪民俗学研究会のみなさんと鳥居の下で待ち合わせる約束だった。しかし、バスを乗り継いで鷺洲バス停に着いたのが13時30分。やってしまった。「大阪時間」で行動する習慣が抜けきらない。30分遅れで動く体内時計が働くのだ。アッラーの神の命じるままに行動しているとは言わぬが、70年以上大阪時間で生きているので、田野代表には合わせる顔がございません。

f:id:higachanntan:20240204213444j:image↑浦江聖天の鳥居
f:id:higachanntan:20240204213400j:image丸大食品とのつながりがわかる
f:id:higachanntan:20240204213349j:image↑境内図
f:id:higachanntan:20240204213430j:image↑梅花
f:id:higachanntan:20240204213423j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240204213404j:image↑心経塔
f:id:higachanntan:20240204213408j:image↑心経塔の奉納者
f:id:higachanntan:20240204213356j:image↑まおさま
f:id:higachanntan:20240204213415j:image↑くりんさま
f:id:higachanntan:20240204213345j:image↑よなおし地蔵
f:id:higachanntan:20240204213352j:image↑弁天さん
f:id:higachanntan:20240204213426j:image↑倶哩伽羅龍王
f:id:higachanntan:20240204213411j:image芭蕉句碑
f:id:higachanntan:20240204213419j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240204213437j:image芭蕉句碑の説明板
f:id:higachanntan:20240204213440j:image↑道標
f:id:higachanntan:20240204213340j:image↑小森さんの名前が2名。丸大食品の関係者か
f:id:higachanntan:20240204213433j:image↑山門

 この辺りは浦江と呼ばれ、東寺真言宗如意山了徳院は浦江聖天(浦江の聖天さん)と親しまれた。太平洋戦争で記録が焼失した。元文元年(1736年)宥意上人によって中興され、天保五(1834)年に僧某が再建再興したと伝える。

【参考文献】

『福島聖天 如意山 了徳院』(有料でいただける)

檸檬忌

 梶井基次郎は大阪で亡くなった。命日の3月24日を「檸檬忌」という。

f:id:higachanntan:20240201233320j:image↑山門の碑
f:id:higachanntan:20240201233341j:image↑歌舞伎俳優の墓
f:id:higachanntan:20240201233338j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240201233345j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240201233327j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240201233331j:image↑分骨された梶井の墓(檸檬が供えられている)
f:id:higachanntan:20240201233324j:image↑梶井家の墓
f:id:higachanntan:20240201233334j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240201233348j:image↑同上

日本ブラッドバンク

 大阪市電島屋橋ー今福線に乗って、蒲生4丁目から南森町まで高校時代に通学していた。南森町から北浜4丁目、そこから堺筋を本町二丁目まで南下していた。大阪市電が廃止への道を走っていた時代だ。

 

 蒲生4丁目から蒲生三丁目までに右側に中北製作所本社があった。今はマンションになっている。

f:id:higachanntan:20240125221429j:image長谷工のマンション

 その西隣には、日本ブラッドバンクがあった。普通の銀行ではない。献血になる前までは血液銀行が輸血を支えていた。売血をする労務者が通用口に並んでいた。釜ヶ崎労務者が売血で一日の生活費を稼ぐのだ。売血のため薄い血の問題が出ていた。「黄色い血」の問題が起きた。悪名高い企業であった。世間の指弾を受けて、ミドリ十字に名を変更した。そのミドリ十字の社名も消えた。悪名高い会社だから、地域の関心も低かったのだろう。

f:id:higachanntan:20240125222103j:imageミドリ十字はマンションになった

 ミドリ十字で思い出すことがある。中学生の時に便所(トイレではない)に変化があった。ミドリ十字が研究をするために小便を提供してほしいというのだ。大きな容器に向かって放尿したのだ。その後、小便が新しい発見につながったのかは知らない。

浪曲研究会@高津宮

 千日前線谷町九丁目で下車した。高津宮の鳥居をくぐる。結婚式場の二階が会場。満員盛況でご同慶の至り。

f:id:higachanntan:20240128014142j:image↑真山隼人の浪曲研究会のチラシ 

 研究会と銘打っているだけ、意欲的な外題が出てくる。沢村さくらさんの三味線が場を盛り立てる。東成区の百軒長屋から高津宮に会場を移してきた。お客さんの反応もよく、演者もはつらつとしている。実力派の隼人さんにとっていい培養池になるだろう。

f:id:higachanntan:20240128014314j:image谷町九丁目交差点
f:id:higachanntan:20240128014324j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240128014307j:image上町台地を下っていく
f:id:higachanntan:20240128014317j:image↑さらに西へ
f:id:higachanntan:20240128014320j:image↑北を望む
f:id:higachanntan:20240128014310j:image↑高津宮の鳥居

f:id:higachanntan:20240128015053j:image↑参道
f:id:higachanntan:20240128015042j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240128015000j:image↑梅の橋
f:id:higachanntan:20240128015113j:image↑梅の橋説明板
f:id:higachanntan:20240128015046j:image黒門市場の「あそこ」の玉垣
f:id:higachanntan:20240128015049j:image↑北野恒富筆塚の説明板
f:id:higachanntan:20240128015107j:image↑北野恒富先生筆塚
f:id:higachanntan:20240128015039j:image↑裏面

f:id:higachanntan:20240129022732j:image↑同上

f:id:higachanntan:20240202162053j:image↑北野門下生葉束会
f:id:higachanntan:20240128014952j:image↑梅の井
f:id:higachanntan:20240128015003j:image↑梅の井説明板
f:id:higachanntan:20240128015120j:image↑幕の内はどうなっているのか
f:id:higachanntan:20240128015006j:image↑菅楯彦の絵画
f:id:higachanntan:20240128014956j:image↑真山隼人(右側)と沢村さくら(左側)
f:id:higachanntan:20240128015032j:image↑菅楯彦の書
f:id:higachanntan:20240128015021j:image↑勧善歌碑
f:id:higachanntan:20240128015103j:image↑勧善歌碑の説明板
f:id:higachanntan:20240128015035j:image↑五代目桂文枝之碑
f:id:higachanntan:20240128015028j:image↑五代目桂文枝の碑説明板
f:id:higachanntan:20240128015014j:image↑碑の裏面
f:id:higachanntan:20240128015025j:image↑木谷蓬吟・千種先生之碑
f:id:higachanntan:20240128015117j:image↑木谷蓬吟・千種顕彰碑説明板
f:id:higachanntan:20240128015110j:image↑絵馬堂(成瀬國晴制作の絵馬)
f:id:higachanntan:20240128015056j:image↑絵馬堂(菅楯彦制作の絵馬)
f:id:higachanntan:20240128014946j:image大阪市
f:id:higachanntan:20240128014949j:image↑高津宮の坂
f:id:higachanntan:20240128015100j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240128015010j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240128015017j:image↑右手に大阪名物の高津の黒焼き屋があった。イモリの黒焼き(惚れ薬)や願かけのへびなどを売っていた

f:id:higachanntan:20240129022000j:image↑次回の「真山隼人の浪曲研究会」のチラシ

 

 イモリの黒焼き屋を若い頃に見た。効能はあったのだろうか。試したかったなあ。それは真実の愛ではなかろう。効能が醒めたら、女性は私を見て、どう思うだろうか。

 真山隼人さんの住所は前に阿倍野区在住と本人から聞いた。参加者の中に隼人さんと親しい方がいた。阿倍野区松崎町辺りに住まわれていると聞いた。俄然、食指が動いた。松崎町といえば、邸宅街であの菅楯彦の家があったところだ。大阪市名誉市民第一号の菅楯彦の居住地だ。

 まち歩きはやめられません。

【参考文献】

『浪速高津宮案内記』社務所で有料で頂ける。

(『高津さんの今昔』も上記の案内記と一緒に頂ける)