堺筋線の天神橋六丁目(天六)から北東へ行くと、大阪市立北霊園が見えてくる。道を挟んで向かいに豊崎東会館と旧大淀寮がある。今は大阪市福祉局が管理している。
この豊崎東会館(大正15年に完成した鉄筋コンクリート製)が更地になると『広報紙わがまち北区』4月号に載っている。「大正のモダン建築」と見出しにある。
↑豊崎東会館
大阪市福祉局の保護課施設グループの係長に聞く。同一敷地内の旧大淀寮と解体される予定だ。解体業者との契約も済んでいる。豊崎東地域活動協議会が反対運動をしたのにかかわらず、大阪市福祉局はどのような対応をしてきたのだろう。「大阪の福祉の変遷を伝える歴史的な建造物だった。こういう建物があったことを子どもたちに語り継いでいきたい」と語る豊崎東地域活動協議会長のことばが大阪市の当局者にはどう響いているのか。
↑旧大淀寮
旧大淀寮の前身は長柄共同宿泊所で、大正15年11月に創立された。住所は大阪市東淀川区長柄中1丁目にあった。(『大阪市営社会事業一覧』1929年5月)
旧大淀寮は東館と西館が古い。大正15年完成と思われる。真ん中の建物は比較的新しいのではと思う。
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
「暖簾に腕押し」「馬の耳に念仏」「長いものに巻かれろ」「人の噂も七十五日」「泣く子と地頭には勝てない」ことばを連ねても、怒りは鎮まらない。
パブリック(公共)の大阪市が文化行政に理解が少ないのは今に始まらない。志賀志那人が活躍で有名な北市民館の解体、名建築だった旧大阪市役所の解体、旧砲兵工廠本館の解体といくらでも列挙できる。最近の大阪市の文化行政には目を覆うばかりだ。
大阪市中央公会堂のケースは参考になる。反対運動から大阪市民の寄付を集める行動に移る。大阪市に耐震補強をして保存に踏み切らせた。今でいうクラウドファンディングか。
土地への愛着(大阪愛)はあるか。単なる建造物でなく歴史的建造物と見る認識の高さが大阪市にあろうか。また大阪市に都市格があろうか。
↑豊東祭
「豊崎東会館と元大淀寮の跡地の一角には新たな地域集会施設が建設され」ると書いてある。解体して更地にするのだ。あとは入札をして、不動産業者を選定する。マンション建設が行われるだろう。同じ轍を踏むことになろう。一旦消えた建造物は元に戻らない。歴史の継続性を断ち切ってはならないのだ。
↑大阪市立北斎場
元長柄墓地は広大であった。関西大学天六校舎もかつての長柄墓地の跡に建った。今はマンションになっている。
↑関西大学天六キャンパス跡地記念碑
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
一旦消えた建造物は元に戻らない。歴史の継続性を断ち切ってはならないのだ。
【追記】
大阪市北区役所に「豊崎東会館」と「旧大淀寮」の内部写真の提供を申請したが、断りのメールが来た。それを見て、読者諸賢のご参考にしていただきたい。